結婚相談所をおすすめする理由

しかし、男性が若ければどうか。あるいは、夫が家事をすることが妻の病気のせいではない場合ならどうか。その時、屈辱感はまた違ったものになるのだろうか。現代の日本では、共働き夫婦であっても性別役割分業の解消は一向に進まない。

家事に従事する時間は妻の方が圧倒的に長く、育児休暇を取得する父親の数は増えない。そういう事実をアンケートで示した朝日新聞の記事の見出しは「遠い理想」というものだった。「理想」とは、誰にとっての理想なのだろうか。結婚するに当たって妻になる人に求める条件を「家事を完壁にする人」と答えた歯科医がいた。

「自分も家事をするなら、何のために歯科医になったのか分からない」と言う。この人は、経済力を家事から免除される印鑑のように考えているが、現実には経済力のある男性の方が家事をするのである。家事をする程度のことで男性としてのプライドが致損することはないという余裕からである。

また、「家事は女性の仕事」という概念を壊す柔軟性も持っている。経済力と学歴とは相闘があるが、学歴と既成概念にとらわれない柔軟性もまた相闘がある。ということは、経済力がなく、だからこそ家事もしない男性を選ぶ(ことは「でき婚」以外あり得ないと思うが)女性は、家計労働と家事労働の両方の負担を一身に背負わされることになる。

「結婚はしたいが、当然家事の負担が増えるだろうから、安定雇用の人がいい」と訴える女性の気持ちは分からないではない。年金で言、っと「国民年金ではない人」を希望する気持ちである。

「共済年金の人」はもちろん、「厚生年金の人」である男性が家事をすると、「家事が好きな人」と褒められる。しかし、「国民年金の人」が家事をすると、「国民年金の男だから家事をせざるを得ないのだ」という声が本人の頭の中で鳴り響くのである。家事をすることで、自分の架空のアイデンティティが否定される。

従って、意地でも家事をしない、というかできない男性がいるのである。男性は男性内部では、女性よりも苛烈な差別の中にいる。買い物といい洗濯といい、女性がするものとされてきた行為を男性がする時、自分が女性のように他人の目に映っているのではないかという恐怖がつきまとう。

「女性のように」というのは「男性としては二流」という意味である。だから万一洗濯をしたとしても、洗濯物をベランダに干すことはしない。他人の目に晒される恥辱感からである。

多くの男性は依然としてチキン・レースをさせられていて、家事をしないことが男らしきだと思っている。こういう男性の恥辱感と強迫観念を抜きにして、「理想」を説いても始まらない。結婚においては男性が家事を喜んでする「家庭的な女性」を求め、女性が「家事に協力的な男性」を求めているのだから、男女とも家事を互いに相手に投げているとしか考えられない。家事は結婚の、いや人生最大の問題である。

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